毒ガス(どくガス、poison gas)とは動物に対して有害なガスのうち、兵器として使用されるものをいう。兵器として使用されないものや自然発生するもの等は「有毒ガス」などと呼ばれ区別されるのが普通である。日本陸軍では毒ガスのことを「赤筒」と呼んだ。
対象は人間に限らず、軍馬・軍用犬・伝書鳩などに対しても使用されることがある。
毒性を持つガスによって敵を殺傷するための兵器である。NBC兵器の一角をなす大量破壊兵器であり、1925年に作成されたジュネーヴ議定書(窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書)によって戦争での使用が禁止されている。第一次大戦で登場し、大量に使用された。しかしその後は、禁止条約が発効したことに加え、その性質から兵器としては使いづらいために使用例は限られている。理由としては、
散布状況が天候や風向きに左右されて効果が予想できず味方に被害を与えかねないこと
戦線の歩兵はガスマスクを携行し、車両は対NBC兵器装備を備えているのが普通なので効果が薄いこと
被害者に障害が残ること
環境被害があること
等が挙げられる。ただ、民間人に対する攻撃方法としては有効であるためしばしば利用され、イラク・フセイン政権はクルド人虐殺に使用したとされている。これは裏を返せば軍隊に効果が薄く民間人には被害が出やすいということを意味しており、その点こそが条約で禁止されている原因でもある。
また、オウム真理教のサリン散布事件が示すように、ある程度の化学的知識と市販の試薬とで合成が可能である。このことから毒ガスを含む化学兵器は「貧者の核兵器」とも呼ばれ、核兵器を開発するために必要な技術・資金に乏しい国、あるいはテロ組織による生産・利用が危惧されている。
一般に毒「ガス」と総称されるが、実際には常温・常圧では液体や固体の物も多く、これらの物は霧状や微粉末にして散布したり、砲弾や爆弾に充填して爆発の衝撃で飛散させることによって兵器としての効果を発揮させる。ミサイルやロケット弾の弾頭、さらには地雷や手榴弾に充填させる方法で使用されることもある。
最も原始的な検知手段として、カナリアなどの毒物に敏感な小鳥を使う方法がある。
兵器として人類史上初めて使用された毒ガスは、ペロポネソス戦争でスパルタ軍が使用した亜硫酸ガスであるといわれている。
近代以降では、1915年4月22日、第一次世界大戦のイーペル戦線で使用された塩素ガスが最初であるとされている。その後、双方の陣営で大量に使用された。
ロシア内戦ではミハイル・トハチェフスキー率いる赤軍がタンボフ州の反乱を鎮圧させるために使用し、作戦は成功したものの女性・子供を含む多数の死者が出た。
第二次リーフ戦争(1920年?1926年)でスペイン陸軍がリーフ軍に対し毒ガス(マスタードガスである可能性が高い)を使用した。既にジュネーヴ議定書が結ばれ、数年後に正式な発効が行われることになっていた中での「駆け込み使用」であった。
第二次エチオピア戦争でイタリア陸軍がエチオピア軍に対して使用した。ファシスト政権崩壊後のイタリアでは戦争批判の流れからその効力や残虐性が盛んに喧伝されたが、『ムッソリーニの毒ガス』で実際の効果を検証したアンジェロ・デル・ボカは同戦争における毒ガス使用にさしたる軍事的効果は無く、仮にこれを用いなくとも(通常兵器のみでも)代わらぬ勝利を得れたろうと述べている。
第二次世界大戦はおおむね正規軍同士の戦闘でお互いに効果が薄く、また報復使用を恐れたため、ジュネーブ条約で禁止されていた化学兵器は使用されなかった。 日本軍は中国軍に対しては非致死性の嘔吐ガス[1]や催涙ガス[2]が陣地からの炙り出しにしばしば使用された記録がある。
米軍は優れた防毒マスクを開発、装備していたので、日本本土攻撃に大規模なマスタードガス[3]を使った毒ガス攻撃を準備、計画していた。[要出典]
毒ガスに対し拮抗した技術や装備を持った場合は、お互い報復を恐れて毒ガスが使用される事は少ないが、相手の装備が劣っていて報復の恐れがない場合は容赦なく使用される、したがって今日も何処の軍隊でも対化学装備は欠かせない。
また村山政権時代、旧日本軍の遺棄化学兵器を処分するため、多額の費用を捻出する事が決定された。ただしこれ以外にも中ソ両軍が放棄していたものが相当数含まれるとの憶測もあり、議論を呼んでいるほか、日本敗戦時に中国軍に引き渡された兵器に対する処理義務は無かったとの主張も見られる。なおこの処理に関しては日中間で1999年に『日本国政府及び中華人民共和国政府による中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書』が取り交わされている。
日本軍の毒ガス関連
日中戦争中、旧日本軍では嘔吐性のくしゃみ剤ジフェニルシアノアルシンが多く用いられた。これらは、現在使われている催涙ガス一般とは違い、有機砒素化合物よる物質である。これらは吸引することで咽喉、粘膜に激しい刺激を覚え、20分から30分の間完全に戦闘不能の状態にする。その後は回復するが、1942年5月27日に行われた定県北垣村の例のように地下道など密封され濃度の高い状態では、致死者がでる可能性もある。ガスで無力化してすぐの突撃で無抵抗な敵兵士を容易に殺傷することができ、大きな戦果を上げることができた。城砦・陣地など攻略が困難な場合や撤退戦、圧倒的に不利な戦闘などで多用され、効果を挙げた。
マスタードガス(イペリット)・ルイサイト・青酸などの致死性の毒ガスは、1939年華北で実験的に使用されたもの、後に実戦で使用されたものなど少数例の資料が残る。
太平洋戦争勃発後の太平洋戦線では、日本軍は報復を恐れ毒ガス戦は抑制された。窮地に立たされた日本軍将兵が小規模で青酸を使用するなど数例が知られている。
そのうちのいくらかはアメリカ軍資料にも見られ、散発的な使用で司令部の命令による組織的な使用ではなく、報復するに十分な国際法的正当性が得られないとされた。戦後、国際法廷検察により日本軍の毒ガス使用は参謀本部からの指令であることが確認されている。しかし日本軍の毒ガス使用を起訴するとアメリカ軍の戦略を縛ることになることを考慮、毒ガス戦のノウハウを提出させて起訴をしなかったようである。アメリカは当時毒ガス使用を禁止する条約などに参加しておらず、自由に毒ガスを使用できる立場にいた。ドイツ戦線、日本戦線での毒ガス戦に備えて化学総括部隊が創設された。ただ、当時より国際気運は毒ガス戦に否定的で、米国は非難を恐れて慎重であった。またドイツではアドルフ・ヒトラー自身が第一次大戦当事に毒ガスの被害を受け、また安易な毒ガス使用は報復攻撃を招くと考えた。このためナチスドイツも戦闘での使用に否定的だった。
毒ガスの使用禁止を決めたジュネーブ議定書ののち、イギリスが各国に催涙性のガスも毒ガスに含まれるのか各国の見解を問い合わせた際、当時の日本の外務大臣は「戦闘員を無力化して容易に殺傷できる催涙ガスは残虐であり、議定書の趣旨の毒ガスの範囲に含まれる」という回答を送っているが、後に催涙ガスに関する残虐性はないとする見解に転じた。なお化学兵器禁止条約では第2条9項にて「国内の暴動の鎮圧を含む法の執行のための目的で化学兵器を使用すること」を許容しているため、過去には民族紛争に絡んで使用された(ハラブジャ事件など)国際問題に発展した事例もみられる。
毒ガスの種類
()内はアメリカ陸軍での記号
窒息剤
ホスゲン(CG)
神経剤
サリン(GB)
ソマン(GD)
タブン(GA)
VXガス
血液剤
シアン化水素(青酸ガス)(AC)
びらん剤
マスタードガス(イペリット)(HD)
ルイサイト(L)
催涙ガス
日本の毒ガス
茨城県神栖市において、有機ヒ素化合物による地下水汚染と健康被害が報告され旧日本軍の遺棄兵器ではないかと疑われたものの調査により旧軍由来ではないものと発表された。神栖市HP 。
また、平成19年度版環境白書によると神奈川県の平塚市においては、一部地域の地下水及び土壌から有機ヒ素化合物が検出されたため、表層土壌調査などを実施した結果、有機ヒ素化合物の原体と考えられる白い塊及び汚染土壌が発見された。
また、神奈川県寒川町、千葉県習志野では、裸地以外の舗装や植栽等がされている土地について、土地改変時に安全を確保するための注意事項を示した安全マニュアル(土地改変指針)を土地所有者や建設事業者等に配布し、毒ガスが埋まっていることを環境省が周知した。
他にも、毒ガスは埋まっている可能性の高い所を環境省は発表しており、被害拡大を防ぐために毒ガスと懸念される埋設物を発見した場合には専門家に相談することが必要である。
転用
転じて、現在では排泄物や発酵食品のにおいのように、人体に直接悪影響を及ぼす訳では無いがそれを受ける人間にとって不快に感じる悪臭を指して、比喩的に「毒ガス」と表現する場合がある。
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